2005年「高句麗伝説」レバノン、ティールにて

2005年8月26日、フェニキア9000年の古代都市の遺跡のある、レバノン南部ティールのヒッポドローム遺跡にて、「高句麗伝説」コンサート開催。「高句麗伝説」海外公演を初めて開催し、聴衆全員が総立ちとなり、涙を流し、感動の嵐に包まれる。翌朝、レバノンの新聞のトップ記事に掲載。

  • 出演:高麗恵子 / いだきしん
  • 日時:2005年8月26日

「愛・平和への導き」

高麗恵子はインタビューにて、「何故、全員泣いたのか」と尋ねられる。「神との出会い、魂と魂の出会い」と答える。
レバノン大学芸術学部教授 ガジ・カフージ氏は、「神との出会いが真の芸術。真の芸術が平和を創る」と語る。アラブの主要なる新聞、雑誌に掲載される。

高麗恵子メッセージ レバノン、ティール「高句麗伝説」コンサートに寄せて

8月26日、フェニキア9000年前の都市ティールにて開催致しました「高句麗伝説」が大成功となりました。心よりうれしく、感謝申し上げます。ありがとうございました。
現地では、テレビ、新聞にての報道、告知はじめ、どれだけ真剣に取り組んで下さったことでしょう。当日のコンサートの感動は筆舌に尽くせません。人生最大の喜びであり、あの感動の瞬間を誰が予測できたでしょう。
新しい神があらわれ、フェニキアの魂が怒濤の様に押し寄せ、私は感極まり、涙した瞬間、観衆は一斉にブラボーと歓声を上げ立ち上がり拍手がわき上がったのです。魂と魂の出会いは言葉の違いを超え、感動の涙があふれ、未来に希望を見出したのです。「レバノン人は皆、泣いていた。詩に魂ゆさぶられ最初から最後まで涙が止まらなかった」等々、現地の人の喜びは尋常ではありませんでした。真の芸術が平和を作るとレバノン大学ガジ教授もおっしゃり、この活動は続けていく事が大事であると、来年のコンサートの動きを考えはじめておられます。成功を心より喜び、平和への新たな道が開かれましたことに心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

レバノン大学芸術学部教授 ガジ・カワジ氏 アラブニュース(2005年1月24日号)記事抜粋

高麗恵子:花々と木々から生まれた使徒
詩と音楽を通しての平和への新たな見方

詩人高麗恵子は自然と愛、栄光の夢を生きる人間についての彼女の黙示と言葉の中で永遠との春のような彩に包まれ、あたかも花々や木々と水から生まれた使徒のごとく姿を現す。美しい葉叢と瑞々しい蕾に囲まれ花開く。彼女が歩を進める時、吹き過ぎるそよ風が彼女を立ち止まらせ、小鳥は待ち焦がれたように、彼女のもとに飛び来たってその小さな肩に止まる。彼女の周りには群れをつくる鳩が旋回し、その場は鳥の羽ばたきと平和の調べに満たされる。
幸福の香りが広がり、人々の心にも生命の血脈にも愛が広がる。彼女が行くところどこでも、剣は下に向け頭を垂れ、その激情は大地を抱擁するように鋤に変わってしまう。
大地に蒔かれた種を発芽させ、やがて花開かせる。花冠を高くかかげ、互いの心の交感や曇りのない純粋さの大義を歌い上げる。
平和の情熱が彼女をその真髄にまで連れて行った時、彼女は「全体」に至るために「部分」と言葉を交わすことができた。宇宙とその中の様々な存在を実際的に感得することが彼女を落ち着かせることになった。そして、彼女は愛こそが永遠の生命の必然的な支えであると信じた。
その全ての喜びと悲しみ、またその裏切りと勝利をもって過去との和解を結ぶための重要な入口となる自分自身との「純粋な」対話は、音楽と「愛」の意志を通してされると考えた。 他方で、その短所と長所をもって、人類に共通するしっかりと定まったことを生み出す準備をすることになる「均衡」のすばらしい方程式が実現するはずであり、またこの均衡は互いの心の交感を導き、すべての者を平和のオアシスに連れて行くことになると確信した。
続いて、彼女は言う。「初めのうち、私はどんな風に感じたか。私の生命の光が消えて行くのを感じました。私は自分が意味もなく、そしてただ死に向かって行くことを恐れました。何のために私はやって来たのか。どうして私は行き急ぐのか。これは恐ろしい深淵でした。私はどんなにか惨めで、絶望に苛まれていたことでしょう。私は本当のことを知りたかったのでした」。
こうして高句麗伝説の詩集を通して、高麗恵子の書葉は曇りのない純粋さをもってさまざまな新しい夢を生み出す「夢」によって、永遠に続く真実と愛に向けていつまでも続く渇愛の状態を公に宣言しながら、真っ直ぐに進む。
そのために、彼女は「全体」に行き着くために「部分」に注視した。それで、彼女は自分を捨て、「森」との濃密な対話を構築するために、「木」に触れた。源泉に辿り着くために流れる川に向かって微笑んだり、空を飛ぶことや旋回することの秘密を理解するために小鳥と仲良しになったように振る舞い微笑み掛けた。彼女は「波」に話しかけることはしなかった。彼女のゴールとしたのは、「海」だったからだ。
宇宙と生命の意味を纏める包括的なこの見方と立場が高麗恵子を特徴のある「オリエンタル」な存在にした。それが、彼女の夢と思考に広がりを与えるところとなり、先駆的な船乗りであるフェ二キアの岸辺と他者との相互の結びつきに始まり、チグリス・ユーフラテス川の間に広がる国とかそこの偉大な文明や、ナイルの賜物であり、偉大なヴィジョンと奇跡的な実績の持ち主であるエジプトにまで至るわれわれの全ての聖なる土地 La Terra Santa に至る6千年の歩みの上に広がる豊かな文化を持った「われわれのオリエント」と相まみえる。
時問と歴史の深みの中で打ち続けられる隠れた互いの心の交感こそが、多分、哲学や詩や音楽やその他の芸術を生み出した極東と近東が1つの瞑想的な思考における1つの泉から溢れ出る大きな2つの川を形成し、先駆的な役割を演じることに繋がったのだ。芸術はおしなべて精神の曇りのない純粋さの表現と結び付けを行なう「1つ」との結合と待望する。そこでは、すべての「部分」は「全体」のための証を提供するものとなる。