エチオピアとの出会い
2000年8月にはじめてエチオピアの地を訪れました。マラリアや感染病の患者が多い旱魃の地ゴデの病院には聴診器一つよりなく、子供たちは床に寝ています。まず、薬とレントゲンが必要ということで、約束し、ゴデを発ちました。現地での使用に耐えるレントゲンを選定し、ビルケナシュ基金(訪問に先立ち、同年5月に発足した支援のための基金)で購入、現地に送りました。途中輸送のトラブルにあったものの、12月11日より3泊5日の日程で再訪問した際に、エチオピア政府の協力の下なんとかレントゲン設備の搬入に成功し設置してきました。レントゲン設備そのものはもちろん、レントゲンを持ってくるという約束を守ったということがなによりも喜ばれ、この信頼関係こそが現地の方々に希望を見いだしていたと感じました。そしてこれをはじまりとして現地の人々と一緒になって支援を続けることを約束してゴデの地を後にしました。
2度目の訪問ではっきりしたことは、これから現地の状況を根元的長期的に改善していくために、今このとき、きれいで潤沢な水がなによりも必要ということです。現地で問題になっている下痢、結核、マラリアなどは水を良くすることでかなり改善されるものと考え、NPO高麗、NPOいのちでは、多くの方のご協力、ご協賛のもと、 解決へ向けてのプロジェクトを実施して参りました。
エチオピア ビルケナシュ基金
1999年末よりエチオピアでは干ばつによる飢餓で約1000万人の人が生命の危機に瀕しているというニュースを聞くようになり、いてもたってもいられない気持ちになり、2000年4月にエチオピア大使館を訪ねました。当時の参事官に会い、状況を聞きますと、大変な干ばつにより水がなく多くの人が生命の危機に瀕し、緊急事態になっていると知らされました。報道を求めても断られ、援助がもらえずに大変困っていると聞き、思わず「私たちに何が出来ますか」と問うた時、根本解決をしてほしいとの答えが返ってきました。
飢餓は社会の問題であり、社会の仕組みが変わらない限り、飢餓は永遠に繰り返す。一番してほしいのは社会の仕組みの改善とのお話に私の体は震え、興奮しました。社会の仕組みの根本解決とはと、問うてみると、事実を知ることからはじまるとおっしゃり、「あなた達に事実を知る勇気はありますか」と聞かれたのです。私は望むところであるとすぐ様答え、私の経験を話しました。私は先祖高句麗の歴史の真実がわかる事で死の淵にあった病が治り、生き返ったのです。事実を知る事なくして根源解決はあり得ないことは、自らの人生を通し身をもって経験していたのです。そしてエチオピアへ行く事がはじまりました。スケジュールの調整と予防接種を受けなければいけない理由とで、8月まで行く事は出来ませんでした。日本にいても何か出来る事はあると考え、私は5月13日にエチオピアビルケナシュ基金を発足しました。ビルケナシュとは、人類最古の人骨といわれるルーシーの事で、アムハラ語で「あなたは美しい」という意味もあると聞き、常に原点の気持ちに立ち戻るということを忘れない為にエチオピアビルケナシュ基金と名付けました。1日10円でも100円でも千円でも自分の決めた金額を毎日貯金箱に入れるという呼びかけではじまりました。設立の時、いだきしん氏より「余ったお金や、つり銭ではなく、朝一番、自分の気持ちの表現として貯金箱にいれましょう」というお話と、はじめた限りは息している限り一生続けるというお話があり、私はこの気持ちを原点とし受け止めました。
自分の気持ちの表現であれば、生きている事と同じです。忘れることもなく、喜んで続けられます。
2000年、2005年ソマリ州、ゴデ訪問
2000年8月、はじめて家畜も死ぬという干ばつの地、ゴデを訪ねました。病院の医師は、聴診器よりない現状を訴えました。小児病棟はベッドもなく、床の上に寝かされているだけなのです。大人の病室はベッドはあるものの、古く汚れています。マラリアの患者さんが多く、只寝るより術がない人々の瞳は希望を失っていました。医師に何が一番必要ですかと問うた時、驚きながらも薬とレントゲンが一番ほしいと答えました。私達は必ず送ると約束しました。気づくと私のまわりには子供達がとびはね笑い合っていました。ベッドや床に寝ていた子供も起き上がり、私のまわりをとびはねていたのです。
私は思わずほほえみました。純粋で美しい瞳の輝きが心にとびこみ、今こうして共にいる事がうれしく喜びを感じました。水も食料もない干ばつの地にて生きる子供達の美しい瞳の輝きに人間の幸せを深く考えさせられました。
帰国後すぐに医師の希望した可動式レントゲンを購入し、送りました。帰ったもののなかなか到着せず、私達は、再びエチオピアへ行き、自分達の手で届けようと決めました。駐日エチオピア大使ともお会いし、社会の根源解決は、人間の内面が変わる事と合意し、エチオピアにて いだきしん氏のコンサートを開催することになったのです。
12月、再びゴデを訪ねました。大使もご同行下さいました。野原に飛行機が到着した時、医師が出迎えて下さいました。目に涙をうかべる姿に私も心打たれ感動的再会となりました。レントゲンの組み立てが終わった時、医師は、何よりも約束守ってくれたことがありがたいと涙ながらにご挨拶された時、私も涙がこぼれ、人間は人間の気持ちを支えに生きていく存在なのだと心の底から共に生きる喜びにふるえました。よく見ると、商社から送られてきた大きなレントゲンが梱包が解かれぬまま置き放たれているのです。
日本にて一人一人の気持ちの表現とし、一日10円、100円と貯めたことが共に生きる力となり、支え合って生きていけることを確認しました。次は水の問題が重要という話を聞き、水の問題に取り組んでいます。井戸を掘っても飲めない水である事もわかり、水の問題はずっと調査し、根源解決を模索しています。 2005年4月にエチオピアへ行き、次のステップへ向かいます。
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