いだきしんコンサート「開闢の光景」

<国民の生命を守り繁栄する新国家建設にむけて>


2003年7月19日、熊野本宮大社 大斎原(おおゆのはら)にて、いだきしんコンサート「開闢の光景」を開催。


  • 出演:いだきしん
  • 日時:2003年7月19日
  • 会場:熊野本宮大社 大斎原(和歌山県)
いだきしんメッセージ 「開闢の光景」

「開闢の光景」

国民の生命を守り繁栄する新国家建設にむけて



 地と眼前の空間から光が生まれ、やさしい気に包まれ光はこの身と溶け合い上へ上へと上昇し空を明るくする。夕暮れ時、受容され体内は奥深くから温かで、身は軽くなり、未来に向かうエネルギーに満たされました。徐々に暗くなる大斎原で光が広がり、気が満ち、明るく天に向かう光景を表現せよと・・・。
 世界は新しい普遍的な生き方、新しい秩序を必要としています。しかし、いまだ方向は定まらず、元々からある自然、貴重な文化は破壊されています。生命は蝕まれ魂は傷ついています。   我が国は海、山、川、森林に恵まれ、自然との一体感の内に逞しい身体と輝くばかりの魂を育んできました。
 現代は、全てを受け入れてくれる自然を必要としています。特に身体と魂を受容する特別な場としての自然を必要としています。特別な場としての自然は天と繋がり、人に生きる意味、真の感動を与えます。個々の生命は癒され、魂は再生します。
 誰に言われ、頼まれた訳でもないのですが、人々が元気よく、魂豊かな人生を歩んで欲しいという強い気持ちが熊野に向かわせ、受け入れられました。体内に輝く魂は愛、未来に繁栄を築く根源的な力です。困難、患難などを克服し、克服するごとに燦然と輝く・・・。何事も何人もどのような宗教も受容してきた熊野。熊野への一歩が新人生、新時代の平和な一歩になることでしょう。熊野は全ての人々に開放された聖地です。


いだきしん


高麗恵子メッセージ いだきしんコンサート「開闢の光景」に寄せて 記;2003/7/21

 7月19日コンサート当日、更に激しく降る雨と雷と嵐の中、熊野本宮大社にてお祓いを受ける。あらゆるエネルギーが集まったかの様に吹き荒れる風雨。リハーサルの音と共に、疑惑の思いで黒くなっている陰りは徐々に消えていった。間もなく全部消える事がわかり、私は天に任せ、コンサートに臨む。コンサート開演2時間前、ぽっかりと一部分だけが青空となっていた。疑惑は晴れたと、天に感謝。
 雨が上がり、ビニールカバーを取り、コンサートが始まる。第一音のピアノの音は、祝福の音と感じ、涙が込み上げる。今までの事を全部受け容れられ、心が洗い清められる。舞台四隅に焚かれた松明の炎と音楽により、遠い昔、古代の光景が思い浮かぶ。ピアノの音と共に、太鼓、笛、三味線の音が流れ、古代の神を祭る光景となる。神を呼ぶピアノの音に神経を集中させ、神を待つ緊張のひととき。やがて、森の交響楽が聞こえ始め、私は矢も盾もたまらず森の中に入る。山の神、森の神と出会い、嗚咽をこらえ、全身が震える程感動的な瞬間を迎える。天が与えて下さったエネルギー。私は強くなれる、そして世界に出ていけると直観し、只々「ありがとう」と言い、感謝で一杯。
 熊野詣での途中で行き倒れた人々の魂が集まり、やはり「ありがとう」という魂の声が聞こえる。生命賭けで熊野に向かった人々と共に、今蘇りの時を迎える。鬼にされてしまった気が一斉に集まり、赤や青の光と共に現れては消えながら、大斎原は気に満ちる。そうして生まれた静かなピアノの音は、赤子の声と聞こえる。これが「開闢の光景」。自然の神、気、人間の祈り。全てがひとつとなる光景に、赤子が生まれる。そして、その声とエネルギーは、世界に伝播したその時、コンサートは終了。体ごと拍手せずにはいられない。感動と喜び。この瞬間に居合わせる全ての人が恋しい。愛。
 ここに表現された「開闢の光景」は、やがて現実に顕われる。内面で起こった事が社会現象になるまでの年月の長さを少しでも縮めたい、早くしたい気持は、より一層全身全霊で働く意欲にあふれ、行動に表れる。「開闢の光景」からタンザニアコンサート「平和の灯火」へ。全身全霊覚醒の瞬間である赤子の産声が、タンザニアコンサートにて表現された時、平和な未来に通ずる。
 「開闢の光景」から平和な未来へと創り出すいだきしんコンサート開催に向け、全てを尽くす事を誓う。

高麗恵子